TOEICなるものを初めて受けました。
鉛筆と鉛筆削りを買ってったよ。
消しゴムは忘れたよ。
それにしても、あんなに多くの人が受けるんだね。
立命館大学の南茨木キャンパスで受けたんだけども、数百人キャパの大教室が何部屋も使われてたから、おそらく立命館大学会場だけでも数千人は受けてたね。すごいことだ。
会場にはたくさんの人がいたけれども、テストや試合では自信を持つことが大事なので、歩きながら「こんなかなら俺が一番できそうやな」と呪文を反芻しながら会場への階段を一段ずつ上っていった。
教室に入ってみると、数百人もいる大教室で、入口近くの一番前の席!なんと!緊張するやん。
「どうだったか?」って?
「まぁ、あんなもんよね。」
「普通にはできたわ。」
そう、言いたい。
言えない。完全に言えない。
「いやー、最後のほうよくわかんなかったわー」
とか言って、800点くらいさらっと取りたい。
無理だ。全然余裕で無理だ。
最高に撃沈した。笑
あの呪文はなんだったんだ。
なにあの問題数?多くない?あんな多いん?俺が遅すぎるだけか?普通に解いてたら30問くらい余裕で残ったんですが。笑
残り1分で、たどり着いていない空欄をすべて同じ数字にするか、適当にバラけさせるか迷った末に、適当にバラけさせるほうを選択してしまったので、それもそれでミスチョイスな気がしている。笑
まぁ、実際は当てずっぽうで得点加算されたとしても全く意味がないので、そこはどうでもいいんですが。当てずっぽうでも高得点を取るテクニック、みたいなところには興味があるな。
いや、とはいっても少しでも見映えよくなるように、ちょっとでも点数上がれと心の中で祈りながら適当に埋めたよね。
「TOEICができたところで実際には話せない人がたくさんいる、TOEICで高得点を取るのは対策とテクニック次第」
よくそう言われたりはするし、確かにそうだとも思う。実際にそうだと思っていたから別にいいやと思ってあえて受けようとすら思わなかった。
ただ、逆を言うと普通にできる人はあれくらいおそらく楽勝なんやろね。TOEICで高得点取れる人は実際に英語できるとは限らんけど、実際に英語できる人はTOEICで高得点取れる。
必要条件と十分条件の関係性ってやつか。
そんなこと言いながらも、TOEICで高得点取るってことは、そこまでの過程があるからやっぱりすごいよ。自分ができない中で、人のことをトヤカク言う人にはなりたくない。なったらあかん。
現場の話に戻ると、隣の学生は、20分くらい早く終わって、手を組みながら見直ししてたわ。すげーな!!おい!時間くれ!
時間だけは誰にでも平等とな。へいへい。
いずれにせよ、これがいまの実力であり、これまで大学・社会人とあわせて10年間も英語勉強をしていなかった自分の努力不足ですわ。
英語がゆくゆく必要になるなんてずっとわかってたやん。恥ずかしすぎる。
ただ、ゆくゆく自分が苦労なくペラペラと話せるようになったときに、「海外にも結構行っていたことだし、元からある程度できていたんでしょう」と思われ、その人がそこから一歩踏み出すことや、チャレンジすることを辞めないように、そんなときに背中を押せるように、今はモーレツにダサいですが、記録として残しておきます。
29歳で、改めて露呈された自分のできなさを、恥ずかしいけれど、素直な感情として表現しておく。
これからも、引き続きどんどん歳を取っていく。おそらく一定の年齢までは、歳を取れば取るほど、できない・知らないということの恥ずかしさは大きくなっていくが、そのときに「歳だから俺はもうあかんのやー」って諦め、自虐を言うことで笑って誤魔化したくない。
できないこと、知らないことはその時点ではいいとして、それがわかったときにそのままではいたくない。
諦めることは簡単だ、できない理由を作ることも簡単だ。今の自分の状況を適切に把握して、把握したあとに行動に移して大変な中で一歩ずつ一歩ずつ進むことは難しい。
でも、その難しいことを、泥臭くいつまでもできる人間でありたい。変なプライドを捨てて、悔しい気持ちや負けず嫌いな気持ちを持ち続けて、これからも進むのみ。その過程に価値がある。
今はそんな気持ち。
これからの自分に期待。
俺は、人々に夢とチャンスと元気を与えるねん。
他教室と比べても、回答用紙と問題用紙の回収スピードが鬼のように早かったので、会場を出るスピードは数千人の中でも間違いなく一番だった。
ありがとう。
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