みなさんこんにちは、メキシカンダンディパパです。メキシコと聞くと、多くの人が思い浮かべるうちの一つに、「古代文明」もあるかと思っています。中南米には、マヤ文明・アステカ文明・インカ文明という三つの代表的な文明が存在しました。面白いのは、それぞれがまったく違う環境で発展したことです。マヤはジャングル、アステカは湖、そしてインカはアンデス山脈という過酷な山岳地帯で文明を築きました。

巨大なピラミッド、精密な天文学、そしてスペイン人による征服、、、等々、本日は、そのあたりの3つの文明の違いをまとめていければと思いますので、まずはそれぞれの文明の位置関係を、下記地図から確認してもらえればと思います。

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★アステカ文明 ― 湖上に築かれた戦士の帝国★
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テノチティトランは、14~16世紀にメキシコで繁栄したアステカ帝国の首都で、現在のメキシコシティです。メキシコ高原のテスココ湖(現在は干拓され、北側にはAIFA空港などがある)に浮かぶテノチティトランとトラテロルコの二つの島に築かれた都市は、湖面を埋め立てながら市域を広げ、1519年には面積はほぼ13平方Kmになり、人口は約8万人(別の資料では20~30万人)と推定されていました。当時ヨーロッパで10万を超える都市はパリ(仏)、ナポリ、ヴェネツィア、ミラノ(すべて伊)しかなく、スペイン最大の都市セビーリャでさえ4万5千人に過ぎなかったので、世界的に見ても大規模な都市を作っていたことがわかります。
この巨大な「湖上都市」は、大神殿・宮殿・貴族の邸宅のある区画を中心として東西南北が4つの街区(バリオ)に整然と区分されていました。これも中世ヨーロッパの都市には見られなかったために、スペイン人たちが驚いた点でした。町の住居は水路に面していて、どの家もカヌーを持ち、水路が利用されていました。現在のメキシコシティはこのテノチティトランの上に建築されてまして、市の中心のソカロ広場(憲法広場)はテノチティトランの広場だったところになります。
1519年、スペイン王カルロス1世の時代、キューバから大陸に上陸したコンキスタドール(征服者)の一人エルナン・コルテスは、拠点としてベラクルスを建設した後、内陸のアステカ王国の都、テノチティトランに向かいました。アステカ帝国の皇帝モクテスマ2世はその軍勢に驚き、当初は戦わずに迎え入れましたが、やがてコルテスによって事実上の人質にされてしまいました。最終的に国王となったクアウテモクは反撃に転じ、一時はコルテス以下のスペイン人をテノチティトランから撤退させました。
1521年、コルテスは態勢を立て直し、900名のスペイン人兵士を火砲と騎馬で武装し、テノチティトランを攻撃しました。アステカ人は約3ヶ月にわたって闘いましたが、遂にスペイン軍に敗れ、首都は陥落し約3万のアステカ兵が殺されました。その敗因は、スペイン兵の鉄砲と馬に対して、弓矢ぐらいしかなかった武器の差とよく言われますが、それにも増して首都のアステカ族以外の周辺部族インディオが、王の専制的支配に苦しめられていたために(重い貢納=税、人身供犠のための捕虜、軍事的支配に嫌気が差していて)、コルテス(スペイン軍)に協力したことが大きかったのです。テノチティトランのアステカ人は、コルテス以外にも何万人にも上るインディオの他部族と戦わなければならなかったのです。インディオたちの多くは、コルテスをむしろ解放者として歓迎したという側面があったのでした。
この、「長年支配されていた側が、攻撃を仕掛けてきた外部勢力と組んで元の体制を崩した」というのは、1861年~1865年のアメリカ南北戦争のときに、リンカーンが奴隷解放宣言を出して、南部にいた奴隷約18万人を北軍に参加させて北軍が勝利した、という流れにとても似ているなと思いましたので、その中身に関しては、下記ブログをご確認ください。
ただし、アメリカ南北戦争との違いは、コルテスは解放者ではなく、征服者であったことです(リンカーンの場合は、戦争終了後に奴隷を解放したので、奴隷の自由度が上がった)。彼はテノチティトランの市街を破壊し、運河を埋め、その富を奪い、部下に配分しました。また征服したインディオに対しては、エンコミエンダ制*を実施するなど、事実上はインディオを奴隷のように扱うなどしました。
*エンコミエンダ制:スペイン人が先住民(インディオ)の労働と税を支配する制度。先住民は主に鉱山労働、農業、建設、金銀採掘をさせられました。特に有名なのがボリビアのポトシ銀山や、メキシコのサカテカス銀山などで、ここで取れたメキシコ銀はアカプルコを通じて中国やフィリピンなどに運ばれるなど、スペイン帝国の大きな財源になりました。スペインの理屈では「奴隷ではなく、保護とキリスト教教育を与える代わりに労働してもらう」という建前でしたが、実質的にはほぼ奴隷労働でした(目的は、征服者であるエルナン・コルテスと、フランシスコ・ピサロなどの部下たちに報酬を与えること)。エンコミエンダ制は強制労働、暴力、疫病によって先住民人口が激減し、メキシコでは(研究者によって差はありますが)征服前は約2000万人だった人口が、100年後には約200万人になったとも一説では言われています。※ただ、1542年にはスペインでも新法が成立したために、エンコミエンダ制は徐々に弱くなっていきましたが。
なお、アステカ帝国消滅*の出来事をもって「アステカ文明の終焉」と説明されることが多いのですが、勘違いしてはいけないのは『滅びたのは帝国であって、人々ではない』ということ。アステカ人は、民族としては「ナワ系民族」と呼ばれる文化圏の一部であり、現在でもメキシコ各地に数百万人存在していると言われています。つまり言い換えると、メキシコという国は、アステカ文明の子孫が生きる土地の上に成立した国家でもあるのです。
*アステカ帝国消滅のもう一つの大きな要因:それは、ヨーロッパから持ち込まれた疫病です。スペイン人がアメリカ大陸に到達したとき、彼らが意図せず持ち込んだ病気の中で最も大きな影響を与えたのが「天然痘」でした。1519年にコルテスがメキシコに到着した時点では、まだ大規模な流行は起きていませんでしたが、スペイン人と共にやって来た奴隷などを通じて天然痘が広がり、1520年頃にはアステカ帝国全体で大流行します。この疫病は、ヨーロッパではすでに長い歴史があり、多くの人が免疫を持っていましたが、アメリカ大陸ではこれまで存在しなかった病気だったため、先住民はほとんど免疫を持っていませんでした。その結果、天然痘は都市や村を次々と襲い、戦う前に多くの人々が病気で倒れていったとも言われています。実際、アステカ帝国の皇帝も疫病で亡くなっており、帝国の政治や軍事体制は大きく混乱しました。つまり、テノチティトランの陥落は単にスペイン軍の軍事力によるものだけではなく、周辺部族の協力、火器や騎馬などの軍事技術の差、そして天然痘による人口減少と社会混乱といった複数の要因が重なった結果だったのです。歴史学者の中には、「スペイン人がアステカ帝国を滅ぼした」というよりも、疫病が帝国を弱体化させ、その後にスペイン人が征服したと指摘する人もいるほどです。
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★マヤ文明 ― ジャングルの中に築かれた都市文明★
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マヤ文明は、現在のメキシコ南部、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス西部などに広がった文明で、紀元前2000年頃から1500年以上続いた長寿の文明です。アステカ帝国が14〜16世紀の比較的短い期間の国家だったのに対し、マヤ文明は非常に長い時間をかけて発展した文化圏でした。特に栄えたのは紀元250〜900年頃で、この時代は「古典期」と呼ばれています。この時代には、熱帯雨林の中に巨大な都市国家がいくつも築かれました。
代表的な都市としては、メキシコのパレンケに加え、ティカル(現グアテマラ)、コパン(現ホンジュラス)などがあります。これらの都市には巨大なピラミッド神殿、王宮、球技場、広場などが整然と配置されており、ジャングルの中に突然巨大都市が現れるような景観だったと考えられています。現在でも密林の中から新しい遺跡が発見され続けていまして、近年のレーザー測量(LiDAR)によって、これまで知られていなかった都市や道路が多数見つかっています。
そんなマヤ文明ですが、アステカ文明やインカ文明とは違い、巨大な統一帝国は存在しませんでした。代わりに、数十〜数百の都市国家が存在し、それぞれが王を中心とする独立国家として競い合っていました。例えば、ティカル王国、カラクムル王国(現メキシコ)、コパン王国(現ホンジュラス)などが互いに同盟や戦争を繰り返していたことが、石碑や壁画の記録からわかっています。つまりマヤ文明は「一つの帝国」ではなく、「文化を共有した都市国家ネットワーク」のような存在だったのです。これは、古代ギリシャの都市国家「ポリス」に近い構造*とも言われています。
*古代ギリシャの都市国家「ポリス」:古代ギリシャのポリスとは、都市そのものが一つの国家になっている仕組みです。例えば、アテネ、スパルタ、コリントスなどは、すべて独立した国家でした。そして彼らは同じ言語(ギリシャ語)、同じ宗教、同じ文化を共有しながらも、同盟を組んだり、戦争したりしていました。そのため、一つの統一国家を持つのではなく、それぞれが独立しあっている政治構造の様子が似ていると取れます。
■マヤ文明の最大の特徴 ― 天文学と暦、文字体系
マヤ文明が特に有名なのは、高度な数学と天文学です。マヤ人は、太陽の動き、月の周期、金星の運行などを非常に正確に観測していました。例えば、マヤの暦は一年を365日として計算しており、誤差は非常に小さかったとされています。また、マヤ文明は「0(ゼロ)」の概念を独自に発明した文明としても有名です。これは世界史的に見てもかなり早い発明でした。また、アメリカ大陸の文明の中で最も発達した文字体系を持っていまして、それを「マヤ文字」と呼びます。長い間この文字は解読できませんでしたが、20世紀後半になって研究が進み、現在では多くの内容が読めるようになりました。その結果、マヤ文明が王朝の歴史、戦争、王の即位、宗教儀式などを詳細に記録していたことが分かってきました。その記録は石碑や神殿の壁に刻まれており、現在では多くの文字が解読されています。つまり、マヤ文明は、歴史を文字で記録する高度な文明だったのです。
■それでもなぜマヤ文明は車輪を使わなかったのか
ここでよく出てくる疑問があります。それは「マヤ文明やアステカ文明は高度な文明だったのに、なぜ車輪を使わなかったのか」です。結論から言うと、彼らは車輪を知らなかったわけではなく、適切ではなかったので使わなかったのです。実際に、発掘調査では車輪付きの土製玩具が見つかっていますので、車輪の原理そのものは理解していたことがわかります。ただ、ユーラシアの文明では存在していた牛、馬、ロバ、ラクダなどの荷物を運んだり、荷車を引くことができる大型家畜がほとんど存在しなかったのです(家畜として飼われていたのは、七面鳥や犬程度)。つまり、荷車を引く動物がいないので、人間が背負って運んだほうが効率が良く、車輪を社会インフラとして発展させる必要がありませんでした。もう一つは、地形の問題です。メキシコの文明中心地は山地、密林、火山地帯でした。例えば、古代都市の遺跡であるテオティワカン(メキシコシティ近郊)やパレンケ(チアパス州)の周囲は、現代でもかなり起伏が多いので、舗装道路のない環境では、車輪は意外と使いにくく、こうした環境ではむしろ人間が背負うほうが機動力が高く、車輪はそれほど合理的な技術ではありませんでした。
※なお、インカ文明に関しては、階段状の峻険な山道では車輪よりリャマの方が合理的だったために、大型動物であるリャマを使ってモノを運んでいた。
■なぜマヤ文明は衰退したのか
しかし、この高度な文明は9世紀頃から急速に衰退していきます。特に南部の大都市は次々と放棄され、ジャングルに飲み込まれていきました。その原因については現在も研究が続いていますが、有力な説としては長期的な干ばつ、人口増加による農地不足、都市国家同士の戦争、環境破壊(森林伐採)などが重なった結果ではないかと言われています。つまり、一つの出来事で崩壊したのではなく、複数の問題が同時に起きたと考えられています。ただし、ここで重要なのは「マヤ文明が消えたわけではない」という点です。
実際に、ユカタン半島にあるチチェン・イッツァ遺跡やウシュマル遺跡は、世界的な観光地であり「失われた文明の遺跡」として紹介されることが多いですが、実際にその周囲まで行くと、そこには普通に人々が暮らしています。彼らの多くはマヤ系の人々だで、彼らは今でもマヤ語を話し、マヤの伝統料理を食べ、マヤ文化の習慣を持っています。現在、マヤ系の人口は600万人以上と言われています。つまり、こちらのマヤ文明も「消えた文明」ではなく、形を変えて現代社会の中に生きている文明なのです。
マヤ文明については「2012年に世界が終わる」という有名な話(2021年地球滅亡説)がありましたが、これは誤解です。マヤ暦では2012年12月21日に一つの周期が終わるだけで、世界滅亡を予言したわけではありませんでしたが、ニュースやSNSなどで様々取り上げられ、誤解のままに広がってしまいました。実際にはマヤの石碑にはさらに遠い未来の日付も記録されており、マヤ人はむしろ非常に長い時間スケールで世界を考えていたことが分かっています。
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★インカ文明ーアンデス山脈を支配した山岳帝国★
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インカ帝国(インカ文明)は、南米アンデスに生まれた巨大国家で、ヨーロッパ人が来る直前のアメリカ大陸で最大規模の帝国でした。首都はクスコで、最大領土は200万平方kmにもおよび、現在の国で言うと、ペルー、ボリビア、エクアドル、チリ、アルゼンチンにまたがっていました。
このインカ帝国の凄いところは、「文字がないのに国家を運営」できていたことです。文字の代わりに使ったのがキープ(結縄)で、縄の結び目で税、人口、食料などを管理していました。さらにキプカマヨックと呼ばれる専門官僚(国勢調査や税務調査を行う)と、チャスキと呼ばれるランナーがリレー方式で情報を伝達する飛脚制度で文字がなくても200万平方kmを超える巨大帝国を統治していたのです。
また、インカ帝国には約4万kmの道路があったと言われています。アンデス山脈の崖、谷、ジャングルを繋ぐ道路で、有名なのがインカ道(Inca Road)です。この道路網はローマ帝国の道路網にも匹敵すると言われています。
さらには、石造建築が異常に精密なのが特徴でして、インカの石建築はモルタルなし、つまり石と石をそのまま組むのですが、それなのにナイフすら入らない精度であると言われています。クスコにある「12角の石」は非常に有名で、観光名所にもなっています。

なお、アンデス山脈は急斜面、気温差が激しいという特徴がありましたので、そこで作られたのが段々畑です。ここで、ジャガイモやトウモロコシなどを栽培しました。インカ帝国の社会の特徴は、超中央集権国家で、皇帝はサパ・インカと呼ばれました。皇帝は太陽神の子孫とされていました。
1530年代、スペイン人フランシスコ・ピサロが侵入し、当時のインカ皇帝アタワルパを捕らえたことで、帝国は崩壊します。帝国崩壊の主な理由としては、①皇帝を人質にされたこと、②インカ帝国が内戦中だったこと、③天然痘が流行していたこと、の3つと言われています。
■アステカ帝国とインカ帝国はほぼ同時期に滅亡
面白いことに、アステカ帝国とインカ帝国はほぼ同時期に滅亡しています。下記を見てもらえたらわかりますが、アステカ滅亡(1521年)からインカ滅亡(1533年)まで、わずか12年差しかありません。
1519年:エルナン・コルテス がメキシコ上陸
1521年:テノチティトラン陥落⇒アステカ帝国滅亡
1532年:フランシスコ・ピサロ がインカ皇帝を捕らえる
1533年:クスコ陥落⇒インカ帝国崩壊
実はこれは、コルテスがアステカ帝国を滅亡させた作戦がうまくいき、それを聞いてピサロが11年後に同じ戦略を取ったのではないかとも言われています。それが何かというと、アステカ帝国もインカ帝国も 「皇帝を捕まえる」ことで一気に崩壊しました。普通の戦争なら「軍隊同士が戦う、都市を攻める」ですが、彼らは違いました。彼らの戦略は「帝国のトップを捕まえてしまう」というもので、現代で言えば敵国の大統領を最初に拉致する、ようなものです。これで巨大帝国が一気に崩れたのです。
今回は、3つの文明を比較として取り上げましたが、メキシコに焦点を当ててみると、下記のような様々なことに気付きます。
■メキシコは実は多民族国家
さらに面白くて複雑なのは、先ほど伝えたのはあくまで代表的な文明であり、メキシコには公式に認められている先住民族言語が68言語も存在していることです。代表的な民族としては「ナワ族」「マヤ族」「サポテカ族」「ミシュテカ族」などがあります。これはつまり、メキシコという国が単一民族国家ではないということを意味しているので、構造としてはむしろヨーロッパに近く、多くの民族や文化が重なり合い、その上に国家が成立しています。
また、現在のメキシコ社会を理解するうえで、もう一つ重要なポイントがあります。それは、「スペイン文化との融合」です。スペインによる征服以降、メキシコではスペイン人、先住民族、アフリカ系奴隷が混ざり合ったことで生まれた「メスティーソ(混血)文化」と呼ばれるものがあります。現在のメキシコ人の多くは「スペイン系×先住民族」の混血なので、スペイン語を話し、カトリック教会に通い、タコスを食べるのですが、しかしその文化の奥には、マヤやアステカの世界観が確実に残っています。例えば有名な祝日である「死者の日」は、カトリックの祭礼のように見えますが、起源はアステカ文明の死生観にあると言われています。
このように、メキシコという国を見ていると、この国は三つの文明が重なってできていることに気付きます。第一層は、マヤやナワといった先住文明。第二層は、スペインによる植民地文明。第三層は、アメリカの影響を受けた現代資本主義文明。一つの都市の中に、先住民族の市場があり、スペイン式の街並みもあり、アメリカ資本のショッピングモールが同時に存在している、というこの重層構造は、世界的に見てもかなり独特なものなのです。
ぜひみなさん、こういった歴史を知った上で観光・旅行に行ってみましょう。
では、本日はこのへんで。
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