メキシカンダンディパパの思考録

旅とフットボールとラーメンの人

さすがに友香にナメられすぎている件

どーも、新田空馬です。

 

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途中まで書いているブログの下書きがたくさんあって、大量にお蔵入りしそうなので、この夏の、僕が友香にナメられ過ぎていた一件を、公開します。

 

結構楽しみにしている人も多いと聞く、僕と妻の友香のトラブル?やら、ウンタラカンタラです。

 

まず、前提なのですが、僕は家庭において「は」なかなかのポンコツでして、家のドアを開けたまま会社に行ったり、ゴミを捨てたと思ったら間違えた曜日のモノを捨てたり、洗い物をしても掃除機をかけてもどうもこう下手くそらしく、2度目の洗い物をされたり2度目の掃除機をされたりしています。

 

まぁ、私が悪い。

 

家庭において「は」です。

そこはそう言わせてもらいましょう。笑

 

あまりこう30歳を越えた人間が家庭の様子をさらけ出すというのも、恥ずかしくもあるのですが、僕の家事レベルはこんな感じで、結構丁寧に友香が指示出しとかしてくれるおかげで、うまく成り立っているとも言えます。

 

感謝。

 

まずは過去のこちらの記事をご覧下さい

kuma0112.hatenablog.com

 

もし見て頂けたようですと、どんな感じかがわかってくれたかと思います。要するになかなかにポンコツなんですわな。

 

自分ではもっとできると思ってるんですけど、基本ナメられてるんすよね。何もできないと思われている。

 

…クソォぉぉッ!!!

 

ここ数ヶ月も、ほぼフルで在宅勤務をしているので、お昼も家で食べています。

 

有難いことに、いつも料理を作ってくれていて、たまに友香がお昼時にいないときには、ドコに何があって、どうしたら美味しく食べられるのかをすべてLINEで教えてくれます。

 

これは、とある日の、クリームソースパスタの作り方

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それくらいわかるよ?と思いながらも、これはとある日の油そばの食べ方
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いつぞやのお昼の指示出し
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先まで見据えて出かけて、その上でここまでしてくれるなんて、大変有難い。。本当に頭が上がらない。。

 

一つだけ私の保身のために言わせてもらうと、無理矢理ご飯を準備させているわけでもないですし、ご飯作らないとキレるような亭主関白な人間なわけでもありません、指示出ししてって要求しているわけでもありません。笑

 

何もなければ何もないでサバイブしていけるタイプの人間です。

 

そして先日の極め付けはコレ。

 

どうやら冷蔵庫を開けたら右下に作ってくれたものが重ねてあるらしかったのです。

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そこで、冷蔵庫を開けてみました。

 

おーありました。

本当に右下だ、わかりやすい。

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ただ、お椀が乗ってる、珍しい、何が入ってるんだ?

 

外に出してみたけど、何も入ってない。
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改めて見てみたけど、何も入ってない。
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逆さにしても、何もない。
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何かの間違い?

 

んーーーー、まさかとは思ったけど

一応聞いてみた。

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返事が一瞬で来ました。

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いやいや、

お椀くらいわかるわ!!!!笑

自分でお椀出せるわ!!!!笑

空のお椀冷蔵庫入れんな!!!!笑

 

さすがにナメられすぎとる!!!

 

家事力アップせねば。

今日も良い1日を。

 

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勢いでレーシックをして、視力2.0を手に入れた。

こんにちは、裸眼で視力2.0の新田空馬です。

 

今日のブログですが、題名の通り、ノリと勢いでサクッとレーシック手術を受けてきたので、そのレビュー?経緯?でも書こうかなと。

 

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サクッと、と書いてるんですが、思い立ってから1週間でオペまでやったので、本当にノリと勢いでサクッとやった感じで、間違いありません…笑

 

■レーシック決意までの時間経過

7月7日(水)、会社の業績発表などのキックオフで、先輩がレーシックをやって良かった〜という話をしていた。

 

7月10日(土)、朝起きて、俺もやるか!といきなり思って、数ヶ月前にレーシック受けてた後輩に連絡し、紹介割引(5万円引き)をゲット。

 

紹介なので、他のクリニックがどうとか、何も調べず、とりあえず当日中に品川近視クリニックにすぐ電話して、「今日か明日、レーシック手術できますか?」と聞くも、3日前からコンタクト外さないといけないらしく、今日明日はできないと。そりゃそうか。残念。

 

最短でできる7月17日(土)朝イチ9時を予約。同じ日の15時からオペで、当日中に終了。会社のキックオフで話を聞いてから10日後(思い立ってからは1週間後)にはオペ終わってました。笑

 

翌日検診でオペ後の視力がわかるのですが、朝起きると本当に視界がクリアで、視力検査の結果なんと2.0の視力を手に入れました…!

 

術後1週間検診も終わりましたが、何も問題なく、視力も2.0で変わらず、絶好調。

 

大体レーシックをすると平均視力1.5くらいらしく。とは言ってもリスクヘッジも兼ねて「なるべく遠くまで見えるように頑張りますが、こればかしは視力1.5とか2.0が確約できるわけではないので、1.0以上にはなる、くらいで考えといてください」と、オペ前に言われる。ハーイ、と。

 

僕の場合は、元々裸眼で0.2くらい、コンタクトしてても1.5くらい(だったはず)なので、2.0はコンタクト着用時よりも視界がクリアで、ラッキーだったかもしませんが、なんともまぁ本当に快適で、最高。

 

リアルにこれは新田2021史上ベスト判断とアクション。なんでもっと早くやらなかったんだと思う今日この頃です。

 

■オペ当日の流れ

朝9時に到着し、そこからレーシックができる眼なのかをチェックするため、午前2時間半くらい丸々検査。結構人いたね〜。

 

いつもの視力検査や、気球見るやつや、光当てたりするやつや、ぷしゅって風を当てる眼圧検査など、いつもの眼科検診を少ししっかりした感じ。別になんともない。

 

待ち時間が長いわけでもなく、テキパキ色んな検査をしていっての2時間半なので、特に長い感覚もせずに終了。

 

午前診察の最後の方で、どの機械で、どの値段の、どのレベルのものを行うのかの軽い説明がある。一般的には、ここが非常に悩むところかと。

 

自由診療なので、値段は高く、20万〜70万くらいで、機械の最新度合いレベル3パターン×角膜強靭化を付ける付けないの2パターンなので、超ざっくりで計6パターンくらい。

 

※角膜強靭化とは

レーシックをする場合に角膜を削る為、角膜が弱くなり、時間が経ってくると、また視力が低下してくる可能性もあると。ただ、角膜強靭化をすることで、その低下を抑制できるというもの。本来は、レーシックをする際には必須ではないものですが、クリニック側でオプションとして提示するようになったことで、今では選択肢としても当たり前になってきていると。なんか賛否両論あるみたいです、僕は詳しくはわかりません。

 

その角膜強靭化をするか否かで金額が大きく変わるので、少しだけ下に記載します。

 

ここでは、わかりやすいように、レーシックの機械の最新度合いを新しくて値段が高いものから順にA、B、Cとしましょう。

 

先ほど値段はざっくり6パターンと伝えたものの、古いCの値段でBでやってあげるよって話を(おそらくみんな?)すぐにドクターがしてくれるため、実際にはCの選択肢が消え、基本4パターンになるかと。

 

僕がやったのは、上記で言うBの機械、アマリス750Zレーシックに、角膜強靭化ありで、提示される表にはオープンにはされてないところを調べてネゴって、一応もともと55万のところを、結果としては35万(紹介割引5万円も含み)でできました。

 

まぁ、これだけ値下げできちゃうってことは、もともとの定価とはなんぞやって思ってもしまうけどね。

 

【角膜強靭化あり】

(1)最新A × 角膜強靭化あり 約65万

(2)普通B × 角膜強靭化あり 約55万

(3)古めC × 角膜強靭化あり 約45万

→ここから紹介割引5万円がさらに引かれる。

※この55万円のを、35万円で行うことができた。

 

【角膜強靭化なし】

最新A × 角膜強靭化なし 約45万

普通B × 角膜強靭化なし 約32万

古めC × 角膜強靭化なし 約26万

→ここから紹介割引5万円がさらに引かれる。

 

本来は角膜強靭化を付けるかどうかで20万近く変わるのですが、うまくカラクリを理解して交渉することで、そこの値引きができて、7〜8万円程度で付けられます。

(※問い合わせが多い為、私の紹介でレーシックを受けられる方にのみお伝えいたします。知り合いの場合はLINEでも、知り合いではない方はInstaのDMでご連絡ください。チケット発行にあたりフルネームお伺いするため、その点ご了承下さい。)

 

元々、角膜強靭化は付ける気なかったのですが、うまく営業されて?はたまた付けないことが不安になって?、結局付けました。まぁ、ちょっと高くなりますし、そこは個人の判断なので、どっちの判断でもいいと思います。

 

角膜強靭化の話が長くなりましたが、一度午前診察が11時半頃に終わり、外でラーメンを食べたりなんだりしながら、15時にオペで再度クリニック集合です。

 

大事な大事か目のことではあるので、再度軽く他の看護師?や、ドクターなどの再診察を行い、オペまでの待ち時間があり、おそらく16時半頃?からオペだったかなと思います。

 

オペ自体は、レーシックが3分くらい?で、角膜強靭化が5分くらい?だったかなぁと。サクッと終わりました。別に痛くもない。オペ中、眼を見開くために、ガチャっと周りにハメる機械が少し圧強いくらい。

 

何が凄いって、「眼用麻酔を世界で初めて考えた人が凄すぎる」って話よ。麻酔言うても、針をどこかに刺すとかではなく、ただの目薬ですよ?笑

 

その目薬を差したら、目をいじられてる感覚あるのに、全然痛くない、なんだこの不思議な感覚は。果たしてどうやって作って、そしてどうやって実験した?薬とかで、動物実験とかってあるけど、これ麻酔の目薬の場合、見える見えないとかの問題もあるけど、どうやって効果や影響を確かめたの?わからなさすぎるけど、本当に凄すぎる。

 

「ちょっと、新しい目の麻酔ができたんだけどさ」って言われたところで、怖すぎるよね、痛かったらどうすんのよ、見えなくなったらどうすんのよ、って。治験バイトどころの話やない。

 

まぁまぁ、そんな発明者がスゲーよって話は置いといて、角膜強靭化に関しては、今では付けて良かったなぁとは思ってます。本当に色々煩わしくない最高の生活を手に入れたわけですが、この一連の流れの中で感じたことや、自分自身の判断軸などを3つ、参考までに書いておきます。

 

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①選択肢は3つ並べることで売上が上がる

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今回で言う機械A、B、Cのように、人は購買行動を起こす時、選択肢を3つ並べられることによって、一番下の(価格帯)Cを選ばず、真ん中のBを選んでしまう習性がある。安心感や見栄など、色んな要素により。その為、B以上が売れるようにする為の見せ商品としてのCである。

 

その為、売ろうとしているものがAとBである場合、そのままビジネスを行うと多くの人がBを買ってしまう可能性が高いが、Aの上のSという商品を作ることで、S、A、Bとなり、Aの売上が上がる。

 

実際、Cしかなかったら全く不安にならずにCを買うんだけれども、A、Bの選択肢のせいで、Cを選んでしまう自分が不安になるよね。大体こういう場合、統計取ったら圧倒的に真ん中のBを買う人が増えるんだよね。

 

そういうことがわかってたからこそ、そんなのに惑わされずに全然余裕でC選ぶよ?って思ってたけど、話を聞いたらンーやっぱりCはちょっと微妙だなーーーー、と思って、営業される前のタイミングで、自分の中ではBを選ぶことをある程度決めていた。

 

わかっていてもそういう判断をしてしまう、これだからマーケティングは面白いんだよなぁ。ってなんでこんなこと考えてんねん。しっかり真ん中選んじまったよ。チクショー。

 

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②お金で安心を買うということ

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眼科に携わる方には少し失礼な表現でもありますが、角膜強靭化は、必須ではないですし、おそらくクリニックの利益の為にイイコト言われてオプション付けられてるだけだなと思ったので、付ける予定はなかったです。

 

その為、1人目のドクターからは当たり前のように角膜強靭化を付ける前提で話をされて、即断りました。20万くらい変わる話なのに当たり前のような話の進み方したことに対してイラっとしたのもあったけど。笑

いやいや、付けませんって、反抗した。笑

 

ただ、少しお金がかかったとしても、これからも一緒に生きていく自分の身体のこと(しかも目!)でもあったし、視力落ちるかもしれないというちょっとした不安を持ちながら生きることになるかもしらん、また、付ければ良かったと後悔してしまうかもしれないことを考えると、お金をかけて安心を買うというのは、このあとの40年くらい?の人生を考えたら圧倒的に安いなぁと。それもあって、20万かかるところが交渉して10万くらいになったら付けようと思って、実際にその通りになったので、結果的には良かったかなと。確かに今も、無駄に安心している自分がいるし、角膜強靭化も付けたから2.0にまでなったんでは?と都合良く解釈してる自分がいる。我ながらポジティブかよ。

 

心と身体の健吾や安全のために、お金は、使うところには使う。

 

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③持ち物を減らし、自分自身を強靭化する

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最近の自分の中の流行りと目標は、ミニマリストになることで、モノを捨てるということを趣味にしようとしているし、ミニマリストになる為の判断を繰り返している、つもり。たぶん、まだあんまりできてない。笑

 

そう考えた時に、自分の生活に関わるモノはなるべく減らしたく、やはりこのレーシックによってコンタクトとコンタクトケースと洗浄液を持たなくて良くなったのが、マジででかい。

 

「それ(武器)がないと戦えない、生きられない」というのは、サバイバルな状況になったときにめちゃくちゃ不利で、即死する。自分自身だけでなく、周りの人のことを誰も助けられない。コンタクトがなかったので何も見えなくてすぐにやられましたなんて地獄。夜寝ている時に地震や火災があって、「コンタクト付けるからちょっと待って!」なんて言ってる暇はない。

 

そう考えると、やはり自分の身体一つで自分の身や家族を守れるようにしておかないといけないし、武器がなくても守れるように身体も鍛えておいて、自分自身を強靭化させておかないといけない。強靭化させるのは角膜だけではあかん。

 

武器を身体に内蔵できる人造人間って、スゲー羨ましくなってくる。腕からロケット出たり、ナイフが出たりするんでしょ?

 

まだまだ自分の身体一つでできること、守れるものなんてちっぽけ過ぎるけど、今回のこのレーシックという判断とアクションによって、何かあったときに家族を守れる可能性が、1%でも高まったんなら、お金をかけた価値があるんじゃないかな。

 

もしレーシックしたい人いたら連絡ください。5万円引きの紹介チケット渡します。

 

どこでやるとか何も調べなかったけど、レーシックはこの品川近視クリニックが業界最大手で圧倒的な実績らしい。終わったあとに知ったけど、良かったわ。笑

 

120万件以上の実績って、1億2000万人の人口からスーパー単純計算だけど100人に1人はレーシックしてるってことか?意外としてるな。

 

言い方アレですが、迷ってるならノリと勢いでやっちゃったほうが良いと思います。大体みんなそうらしいですし、悩んでる時間だけ不安が増すのみだと思います。笑

(少し高いですが、分割払いもできるみたい。)

 

僕の人生そんな感じ、ノリと勢いで進んでます。

 

まぁ、やってみて間違いなくオススメですが、目のことなので、最後の決断は自分でしましょう。

 

ちなみに、オペ終了後、当日はボヤけたりするんですが、サバゲーみたいな目の保護用サングラスをかけて、眼を瞑りながらラーメンを食べてたのは、僕くらいでした。

 

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美味しかったよ、ひょっとこ。

 

現場からは以上です

 

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人は言われ続けると、自分はそうなんだと認識する

こんにちは。

先日誕生日を迎えて31歳になりました。妻の友香から誕生日プレゼントに何欲しいかと聞かれていたので、別に何もいらないよと伝えていたら、絃葉(いとは)の顔が印刷されたボクサーパンツと靴下を頂きました、新田空馬(クーマ)です。

 

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クセつよ。笑

 

ただのバカ親は妻ですわ。笑

でも、可愛いからよしとします。

 

頻繁に穿いてます。

 

さて、今日は「人は言われ続けると、自分はそうなんだと認識する」、「だからこそ、人にかける言葉には気をつけよう」というテーマで、書いていこうと思います。

 

題名だけじゃようわかりませんね。

説明していきます。

 

絃葉が産まれて3ヶ月ちょっと、百日祝いということで、記念写真を撮りにスタジオアリス東京オペラシティ店(初台)に行ってきました。

 

マタニティフォトの時にも、同じスタジオアリス東京オペラシティ店にお世話になったのですが、ここの店員さんはみんな対応が良く、いいサービスしてるなぁ、なんて思ってました。

 

撮影の途中、泣き止まないタイミングがあったので、抱っこしてたのですが、なんとカメラマンのスタジオアリス店員の女性が、「旦那さん腕の筋肉ムキムキですね〜」って。

 

実際は、180cmなのにUNIQLOのSサイズのTシャツを着てただけなんですが。笑

 

アンダーアーマー的な着こなしをしていたので、そりゃサイズ的にムキムキじゃなく、ムチムチになりますよね。笑

 

すみませんでした。笑

 

ただね、思ったんですよ。

満更でもなく、ちょっと嬉しいと(笑)

 

そして、そういうことかー、、とも。

 

僕、最近ラーメンの食べ過ぎとサッカーのしなさ過ぎで、しっかり太ってしまって、元々の体重より+5kgくらいになってるんですね。

 

そのせいで妻の友香からも毎日「デブ」と言われ笑、久しぶりに会うサッカー仲間達からも「デブ」と言われます笑。

 

(確かにデブですし、ネタなので、全然オッケーです。笑)

 

毎日のように言われてると「俺はもうデブなんだ」って、完全に開き直って、そういう自覚になるんですよ。

 

(重ね重ねになりますが、それは別に、言われるのが嫌だとか傷付いているとかそういう感情はないので、言わないでくれってことではないです。念の為。笑)

 

「自分はデブだ」という認識になってからというもの、それをネタの一つとも捉え、そこに向き合って生活を見直さない自分もとても問題ですが、ようは「人は言われ続けると、そういう認識になる」んですね。

#事実だろとか言うな

 

今日「ムキムキですね」と言われて、勘違いもあるけど「そうだよね、でも本来の自分はまだまだこんなんじゃないんすよ」って心の中で思って、また鍛え始めようかなって思ったんですよ。

 

そう、実際に行動を変えようと思ったんです。

 

そう考えると、同じ事象や事実を見ても、かける言葉一つで本当に受け取り方は変わるし、かけ続ける言葉によって、その人の自己認知が変わる。

 

これってすごく重要なことであり、組織のマネージャーとしてマネージメントもやっている身である自分は、言葉をかけることのほうが圧倒的に多い立場なので、(日々気を付けてはいたけれども)改めて気をつけなければいけないこと。

 

数年前に読んだ「最高のリーダー、マネージャーがいつも考えているたった一つのこと」(マーカス・バッキンガム著)から一部抜粋した内容を、下記に記載しようと思います。

 

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◯凡庸なリーダー
・人の強みに懐疑的で、部下が自信過剰から傲慢になることを怖れる。その結果、弱みについて明確なフィードバックを与えるのが自分の義務だと思っている。凡庸なリーダーの目標は、部下一人ひとりが自分の弱い分野に責任を持って取り組み、他の人との格差を縮めようと努力すること。部下がある程度成功を収めたとき、凡庸なリーダーは必ず、弱みを克服した勤勉さを褒める。

 

◯優れたリーダー
・部下の自身過剰を心配したりはしない。一番心配するのは、それぞれの部下が生まれつきの才能を活かして成果を上げられないことだ。部下一人ひとりが強みを見出し、実際に使い、磨きをかけられる課題を与えること、部下の強みを最大限に活かせるように職場環境を整えることに多くの時間を割く。部下が成功を収めたとき、優れたリーダーは勤勉さを褒めず、うまく強みを活かしたことからこそ成功したことを褒める。

 

最近の調査によれば、正確な自己評価が成果を引き出すのは稀であり、むしろ成果の妨げになるケースが多い。自信だけが成果を引き出させるのだ。たとえその自信が現実的ではないとしても。現実主義が成果を低下させ、非現実的な自信が成果を高めたのだ。

 

リーダーの仕事は、部下の強みと弱みの傾向をありのままに描いてみせることではない。

 

リーダーの仕事はセラピストではない。部下が成果をあげられるように仕向けることである。もっと直接的に言えば、部下の自信を築くことであって、自己認識を促すことではない。さて、この部下が成功を収めた場合、懸命に仕事に取り組んだことを褒めるべきだろうか、それともその部下特有の強みを褒めるべきだろうか。

絶対に後者である。強みが活かされたからこそ成功したと言いなさい。たとえ外部の他の力が重要な役割を果たしていたとしても、強みがうまく働いたからだと説明すべきだ。

 

こうした評価が一部幻想でも構わない。幻想がよりよい現実を作り出すからだ。
次の課題、またその次の課題へと、果敢に粘り強く立ち向かうのに必要な自信を膨らませてくれるのはこうした幻想なのだ。

 

では、もしこの部下が失敗したら?
部下のコントロールできない要因のせいにするのではなく、努力が足りなかったから失敗したと説明することだ。それが部分的にしか正しくなくても。努力不足であれば、自信喪失を避けられる上に、次の仕事で成功するために取り組むべきことも伝えられる。失敗に対して、「目の前の課題の難しさに関しては100%現実的に評価し、それを乗り越える自分の能力に関しては非現実的なまでに楽観している」部下みんなをこうした心境にさせるスキルを身につけることが重要である。

 

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つまり、現実とは違ったとしても「自分はできる」と勘違いさせろってこと。自己肯定感を高めさせるような意味合いに近いね。

 

常に意識はしてるけど、実際にはどこまでできてるかな。まだまだだな。

 

現実を人に言い続けたら、人はそう認識してしまうので、もし行動変容を起こさせてその現実を変えさせたいなら、かけるのにもっといい言葉があるかもね。

 

本人自身も気付いていないけれども、「自分はこうだから」と無意識的に受け入れてしまっていて可能性が閉ざされていることがあるかもしない。

 

これは、旦那を痩せさせたいそこの奥様、旦那に家事をもっとやってほしいそこの奥様、旦那にもっと子供の面倒を見てほしいそこの奥様にも役立つ内容かもね?

 

しれーーーっと、かける言葉を変えてみて、勘違いをさせてみては?

 

いずれにしても、話してるだけで周りの人を前向きにできる人間、前に進もうと思わせられる人間でありたいね。かける言葉、かけ続ける言葉には気をつけよう。

 

現場からは以上です。

 

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「あの人にしかできない仕事」とは。

どーもこんにちは、新田空馬(クーマ)です。産まれて2ヶ月半の子供が最高に可愛いです。

 

昨日はウチの絃葉ちゃん、うつ伏せの練習してました。そろそろ首が座るか座らないか。

 

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本当にきゃわいいね〜。

 

さて、今日は「あの人にしかできない仕事」について書こうと思います。

 

前に、誰かが話してて、いやホントにそうだよなーって思ってたことを、少し自分なりに整理してみたので、自戒も込めて、言語化

 

「この仕事は、あの人にしかできないから…」という言葉。

 

他の人にそう言わせたら勝ち、ではないけれども、カッコいいし、それは、そこに自分自身がいる価値や理由にもなりうる。

 

引き継ぎをしたくてもできないと思われ、異動をしたいと言えば残ってほしいと言われ、退職をしたいと言っても引き止められる。

 

そんな仕事ができる人間に、なりたい人も多くいるかとは思う。

 

ただ、気をつけたほうがいい。

 

実際にはどうだろうか。

 

「あの人にしかできない仕事」を改めて分解して見てみると、中身は大した仕事ではないし、別に正直誰にでもできるけれども、その人の属人的なやり方や、管理が煩雑になっているという理由から「あの人にしかできない」になっていないか?

 

その人が、チームの今後のことを考えて誰にでも対応ができる状況にすることを放棄し、ブラックボックスになってしまっているから「あの人にしかできない」になっていないか?

 

また、自分ごととして捉えた時には、自分にしかできない仕事を「作る」ために、あえてブラックボックスのままにしてはいないか?オープンにした時に、誰にでもできることがバレてしまうことを避けて無意識的にそうしてはいないか?

 

本当にこういった「あの人にしかできない仕事」を有している人間が、仕事ができる人間かと言えば勿論NO。

 

言語化が非常に難しいところを感覚で対応できる類稀なるセンス、模倣不可能な何か、その人の過去が深く関係してくる人脈、誰しもが出てくるわけではない柔軟でスペクタクルな発想やアイデア、ゼロから大きい仕事を持ってくる力、圧倒的技術力やテクニック、こういったスキルは代替不可能になりやすく、本当の意味で代えの効かない人間であると言える。

 

逆に、マネジメント側の立場で言うと、「本当にあの企業は彼にしか担当できないの?」と、疑ってみることも重要。自分が見えていないのであれば、見に行って判断をする。意外と他の人でもできるかもね。

 

自分自身に矢印を向けると、実際、今の自分の仕事で、自分にしかできない仕事ってどれだけあるんだろうか。もう一度自分の仕事を見直してみた方がいい。

 

冷静に今の自分を見つめ直すと、自分にしかできない仕事って大して多くないのではないかと思うし、ほとんどの仕事が代替可能だよなって思うことも多々あるので、自分自身も、常にそこに対しての危機感を持ちながら仕事をしている。

 

自分のこと、具体的に言うと、確かにマネジメントメンバーとしても、プレイヤーとしても「いなくなったら結構痛い」存在ではあると思うし、もしいなくなったら数ヶ月は大変でもあるかと思う。

 

自分で、いなくなったら結構痛いと言うのが、そもそもかなりイタい。人間として。笑

 

冗談は置いといて。笑

 

「数ヶ月は」と書いたのは、実際はそういう穴って、すぐ埋まるもんだから。例え、全体的に仕事における能力値が高かったり、存在感が大きかったとしても、それは代替可能であり、結局数ヶ月で慣れるもの。

 

特に、大きな組織であればあるほどそう。10人のうちの1人と、1000人のうちの1人の影響力が違うように、鳥の目で自分の存在を俯瞰することで、自分ってまだまだだよなぁって、思うよね。

 

そう考えると、本当の意味での「あの人にしかできない仕事」ってのは、どれだけレベルが高くて、どれだけ希少な仕事なんだろうと思う。

 

ただ、そんなデカい組織観点でこの話を捉えたら、結局全員代替可能やんって話になってしまうので、結局じゃあ今何ができるのかで言ったら、いかにして目の前の仕事において、自分がやることでの価値を、ひと手間加えることで付け加えて(付加価値)、「自分にしか出来なかった仕事」にしていくか。そういった仕事や案件を一つ一つ増やしていくと、いつかは「○○さんにお願いしたい」、「○○さんじゃないなら他で買うね」という自分だからこその仕事が増えてきたり、自分の存在自体に価値が発生するようになってくる。

 

ただただ仕事をこなしているだけになってしまっている人は「自分だからこそのひと手間を加えられているか?」も合わせて考えてみたらイイんじゃないかな。

 

何が凄いわけでもないけれどもとりあえずその組織に在籍していることで付いてくる「存在している時間の長さに比例して身につく自分だけの価値」にはあまり興味はないので、在籍している時間や期間が短かったとしても、大きな価値提供、価値発揮をできる自分に、常にレベルアップをしていかないといけない。

 

社会人9年目にしても、世間と比べたら自分はまだまだだと思うこともたくさんあるし、自分だからこそ経験できた、チャンスを掴めたこともあるよなぁと、フラットに自分を見ながら考えてます。

 

人生時間がないので、引き続き成長し続けなければいけないっす。

 

別に、仕事で何かがあったわけではないです。笑

 

あと、もしかしたら変に捉えられる可能性あるのでゆーときますけど、会社辞める隠れ意味深宣言(発言)とかでもないです。笑

 

単に、たまには考えてることをアウトプットしておかないとなーというだけです。

 

ここ1年間、ほとんど仕事仲間と飲みに行ったりしてないな。仕事の話、熱く語りたいもんだな。まだまだ成長せな!

 

今いる組織を、どう最高の組織にしていくか。常により良い未来に向かえる存在でありたいし、そういう影響を与え続けられる存在でありたいね。

 

んだば!

 

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時代の流れに乗らされるな、オフラインの価値を見極めろ

こんにちは。新田空馬(くーま)です。

 

子供が産まれてから1ヶ月ちょっとが経ったわけですが、ようやく、自分の兄弟姉妹にも子供を会わせられました。僕よりも圧倒的に酒飲み(ほぼアル中なんて言ったら怒られそうだからそれは辞めとこう)の兄が絃葉にプレゼントを持ってきてくれました。

 

兄「これ読んだらさすがに夜眠れるかなと思って自分用に買ってたんだけど、子供産まれたみたいだからあげるわ」

 

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32歳、自分用にしっかり絵本買ってたとは。

 

新田家おかしい人ばかりで飽きないっす。笑

 

さてと、本題に入っていきますが、今回も「こうならないように、、意識しないと、、」みたいな、いつもの自戒の意味を込めた内容になっちゃいました。

 

なんかそんなんばっかり書いてる気がするけど、この流れの早い時代においては、自分の中でそういう「意思」を持っておかないと、着地した時にはいつのまにか大切なものを見失ってしまっていて、時すでに遅しになっていることもあると思うので、たまに自分自身を振り返れるように書いてます。

 

今日は「リモートでなんでもできるようになったからこそ、その感覚に気をつける」ということ。

 

みんなご存知のように、コロナで世界は変わり、在宅でも仕事ができる、リモートでなんでも解決しちゃう、そんな世の中になりました。

 

パソコン一つあればイイ、だからこそ大変便利で、自分ももうこの生活にも慣れ、無駄に外に出るようなことがなくなりました。

 

どこかに直接足を運ばないといけないときがあると、「それリモートでできるんでは?」「それ行く必要あるのか?」と思ってしまうことも多々。

 

ただ、その感覚が注意。

 

「それリモートでできるんでは?」「それ行く必要あるのか?」の感覚自体は、今の時代を象徴していて、無駄を省くという意味でも別に悪いわけではないのだけれども、その感覚一辺倒になってくるのはマズい

 

既に危機感を持ってるんだけども、「外に出ることが面倒」「電車に乗ることが面倒」の感覚が少し身に付いてきてしまってるんだよね。

 

オンラインでもできるけどもオフラインの方がいいよねってことはまだまだたくさんあって、その「あえて」をいかに、そしてどの場面で作り出していくのか。

 

「オンラインで完結できるから完結しちゃう」のではなく、「オンラインで完結できるけれどもあえてオフラインを入れる」、そういうメリハリと絶妙な選択を取れるようになりたいし、ならないといけない。

 

パソコン上だけで済んでしまう世の中になってきているからこそ、「直接対面で会うこと」の価値が上がってきていて、「会うためにかけた時間と距離とお金のコスト」はそれだけで評価されても良いと思うし、「そのわざわざ」が効率が悪いようで回り回って長い目で見るとコストパフォーマンスが高い行動になってきている。

 

上の文は、少し文章長めに、わかりにくく書いた節もあるけど、そういうこと。分かりづらいなと思った人は二度見しといてほしい。

 

そんなこんなで、「いやー、それリモートで良くねぇかー、あそこまで行くの面倒だなぁ」と思っている人は、たぶん正しい感覚でありつつも、要注意であると思っておいた方がいい。

 

そして、どうせ行くんなら、めんどくせーって思うよりも、「せっかく時間とお金かけて行くんだから、行かないと得られないプラスを何かしら絶対得て帰って来よう」くらいの気概で行こうや。

 

そっちの方が人生幸せなはずだし、そういう考えができる方が、周りにも幸せな雰囲気と空気をもたらせるハズ。

 

なかなか今はまだコロナで動くに動きづらいけれども、少しずつ収まっていくなかで、人に会うための時間、お金、距離の投資はしていきたい。

 

受動的に時代の流れに「乗らされる」のではなく、主体的に自らの意思で時代の流れに「乗り」、常に選択と判断をしていくことが大事。

 

リモートの当たり前化は、ムダムリムラを排除していくことに長けているけれども、ムダムリムラがあるから深まったり広がったりすることもたくさんあるんだよなぁ。

 

ではまた、バイバイ!

 

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経験することは、人に優しくなれること

こんにちは、クーマです。バカ親です。

 

FacebookInstagramでも勝手に報告させて頂きましたが、2021年3月14日に、第一子の女の子が産まれました。

 

バカかあいい

 

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どちらかを見た方は重複になってしまうのですが、ブログにも残しておこうと思い、子供の名前と、込めた想いを。

 

コピペなので、読んだ方は名前の由来は飛ばして本題まで進んでくださいー。

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名前は『新田 絃葉(いとは)』です。

いとちゃんです😊

 

少しだけ、名前に込めた親の想いを。

糸編の漢字を思い浮かべてみて下さい。

絆(きずな)、縁(えん)、結(むすぶ)、継(つぐ)、続(つづく)などがありますが、糸編の漢字には、人との繋がりを大切にする、縁を大切にする、続けていくなどの意味が込められています。

 

これから生きていく中で、周りの人との繋がりや縁を大事にしてほしいし、多くの良い縁に恵まれて欲しいなと思っています。

 

縦の糸は貴方、横の糸は私、そうそう、そういうことです。

 

また、「絃」と「葉」

それぞれの漢字に込められた意味としては、

 

「絃」…

音楽の才能に恵まれることを願うとともに、弦楽器の音色のように、優美で人を惹きつける魅力ある人に成長するように。

 

「葉」…

青々と茂る葉の生命力に溢れるイメージから、元気でいきいきとした人に育って欲しい、また、自然体で育っていってほしいなと思い。

 

色々と名前に親の願いを込めすぎました。

今思ったけど、親の願いなんて重いよね、ごめんな。笑

 

俺なんか「産まれた時に空を見たら、馬の形をした雲があったから」だよ。ただそれだけ。センスありすぎやろ。でも本当はそれくらいがいいよね、親の想いも何も名前にないから、生きる上でのプレッシャー何もない。笑

 

まぁ、あーだこーだ言いましたけど、僕ら親の願いとしては、健康に生きて欲しい、ただそれだけで、健康に生きる為に大事なのは『胃と歯』だから、『いとは』です。

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コピペはココまで。

 

そんなこんなで、いつのまにやら一児のパパになったわけですが、改めて「経験することで、人は優しくなれる」と身を持って感じることができた3週間でした。

 

産まれたばかりの娘に成長させてもらってます。

 

とにかく、子育てって、凄い。

 

今のところ、戦力としてはウンチ処理、着替え、沐浴、抱っこくらいなもんですけれども、とても楽しいなぁと思ってやっています。

 

まだまだ3週間ですが、これを経験できたことは大きく、「世の中のママはみんな本当に凄い」と思うし、「核家族の中、共働きで子供を育ててるのは本当に凄い」と思うし、「在宅で旦那がいればまだしも、これで朝から晩まで旦那がいない中でほぼワンオペで一日中子育てしてたらそりゃ心もやられるのもわかる」といったようなことが、身を持って感じられます。

 

沐浴これ一人でやんのはなかなか大変だな、オムツ替えこれさっきしたばっかりだからもう一回くらいウンチ待ってまとめてでオムツ替えでといいかな、保湿クリーム塗る時にだいぶ泣くな、在宅の仕事の合間に赤ちゃん見に行きたくなるわな、サッカー行くにも本当に時間と場所次第で行ける行けないが全然ちゃうな、これで酔っ払って帰ったら赤ちゃん落とすから飲み過ぎたらアカンな、授乳って乳首が取れそうになるのか、ミルクはこうやって作るのか、等々、小さなことまで含めて考えたら数え切れないほど感じることがたくさんあり、見える世界が一気に広がった3週間だった。

 

街で1人でベビーカーで電車に乗るママ、1人で2人の未就学児と手を繋いでるママ、子供を抱っこしてるパパ、これまでそこまで意識できていなかったことが、どんどん目に入ってくるようになった。

 

こういうことって、自分がそういう境遇にない時でも、基本的には理解しようと努力はするんだけど、やっぱり当事者になってみないとわからんもんだよなぁと、改めて感じた。

 

本当に、百聞は一見に如かず。

 

昔の人は、よくもココまでピッタリな言葉を紡ぎ出したものだ。

 

これは、子育てに限らず、様々なことにおいてそうと言える。

 

3年前の2018年3月24日、父親が癌で亡くなったときも、同じようなことを感じた。当たり前だけども「親が亡くなるって辛いもんだな」って。歳下のアノ子は、この辛さを20歳になる前に感じて成長してきてるのか…凄いな…と。

 

仕事などに関しても、同じことが言える。例えば、このツラい飛び込みを経験したのか、してないのか、とかね。そこらへんは、なかなか経験してないと心の機微は理解しづらい。ちょっと例が古臭いけれども。

 

そういったことを、文字上で理解すること、頭で理解することと、実体験としてその感情を心の底から感じるのとでは全然違う。

 

こんな時代なので、色んな情報が携帯電話やパソコンを通して目や頭に入ってくるから、わかったつもり理解したつもりで会話をするけれども、本質的には、身体と頭で理解できていないことが多い。

 

経験してないから、調べたり、見聞きしたことで、理解しようとするのは偉いし、それが最大限できることに近いと思うから、それを否定する気も一切ないし、むしろその理解しようとする気持ちが本当に偉いと思う。

 

ただ、実際にはやっぱり全然違うから、新しい事に挑んだほうが色んなことがリアルに見えるし、新しい環境に飛び込んだほうが色んな世界が見えてくる。

 

経験することは、人に優しくなれること。

 

どんどん優しくなれるんなら、やっぱり色んなことを経験していきたい。色んなことにチャレンジしていきたい。経験して、視野を広げて、それぞれ異なった境遇に置かれる人の気持ちが理解できる人間になりたいなと。

 

自分は、ストレスをなぜそんなに感じないのかとか、メンタル強いとか言われたりすることも多い。そういった人間だからこそ、他人を理解しようとしないといけないし、無理矢理にでも自らが色々経験しないといけない。

 

いやーーーーーーーーーー

 

ただ、、、!

 

ここにきてちゃぶ台返しみたいなこと言うけど

 

「経験したからわかる」は、やっぱりやっぱりやっぱりひっくり返ってそれはただの結果論でもあって、「経験してないとわからない」だと様々なことを経験するのにあまりに時間がかかり、優しくなった頃には死んでしまうので、結局は「どれだけ相手の立場に立って、自分がその立場なら?を想像して、自分の言動を選ぶこと」が凄く大事。

 

常に、自分がその立場だったらこうしてほしい、ということを選べる、ギブギブギブの人間に、少しでも近づきたいな、と。

 

経験することは大事だけど、時間は有限だから、結局は想像力も大事!ということ。

 

そんなまだまだ未熟な30歳。

 

いや、俺ってそもそも優しい人間になりたいのか?どうかはわかりませんが、人の気持ちを考えられる人間には常になりたいと思ってます。

 

とりあえず、「一児の父」というカッコイイ称号を手に入れたので、あと30年でどうにか大人になります。

 

世の中のパパママ、時には大変なこともあると思うけど、子育て楽しみましょう👶

 

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選ぶことは何かを捨てること、歳を取っても変わりたくないこと

こんにちは、1990年生まれの30歳、新田空馬(くーま)です。

 

思いつきで整理できてない文をつらつらと書き連ねたあと、数日寝かして頭と文章を少し整えて見直してからからブログに投稿するタイプです。

 

今日は、前置きで色々回り道した上で、最終的には、最近感じていることに関して、自分への戒めだったり、自分を見つめ直す意味合いで書いていきたいと思います。

 

まず、何かを選択すること、何かを決断することは、何かを捨てることでもある。

 

・他のスポーツではなくサッカーを選んだこと

・高校進学と共に、親元を離れて寮生活を始めたこと

・大学では東京に出ることにしたこと

・大学でも体育会でサッカーを続けたこと

・世界に旅に出る予定が、お金がなかったから普通に就職したこと

・友香と付き合い、結婚をしたこと

・転職も考えたけど、残ることにしたこと

・また、平日のトレーニングをするかどうか

・ラーメンを食べるか他のものを食べるか

 

こういったシンプルな決断の連続によって、今の自分がいる。大きな決断に見えることもあれば、小さな決断に見えることもある。決断に時間がかかったこともあれば、ほとんど時間がかかっていないこともある。2つの選択肢から選ぶこともあれば、複数の選択肢から選ぶこともある。また、今までやっていたことを「辞める」「継続する」という選択ももちろんある。

 

ほとんどの場合、その判断で獲得できることと、失われるものの両面があるので、一方を選ぶことでのメリットと、一方を選ぶことでのデメリットを比較しながら判断することが多い。

 

まぁどっちでもいいかとあんまり考えずに選んだけど、結局良い方向に転がったかということも多々ある。また、選んだ道を正解にしようと努力して、結果的に正解ときちんと思えている人も多い。

 

常に、自分の選択の先には、色んな人々との出会いがあり、色んな組織との出会いがある。その出会った(所属することとなった)組織のカラーや、繋がる人間達のカラーによって、自分自身の人間性ができたり、変化していったりする。

 

だからこそ、子供時代にどういう環境、組織で育つかは大きな意味を持つし、選択した先がよく見えていない子供に判断させるのではなく、色々経験してきた親が選択をすることも多く、それは即ち、子供が走りたいときに走りやすいように静かにその先の道を整備していることでとある。選択肢が多く、360度どこへでも行けてしまう都会においては、なおさらその傾向は強い。

 

確かに、自分が親でも、子供が何かをやりたいとなったときに、少しでもそのやりたいことがうまくいく、成功確率が高い環境においてあげたいと、思うんだろうな。

 

進路選択、スポーツでいう組織選択、ということをひとつイメージして上記のことを書いたが、中学高校という思春期、そしてある程度の自由を手に入れる大学、13歳から22歳までの10年間、学校や部活動などの所属組織で形成される人間的な部分は要素として大きいように感じる。

 

ただ、実際にはまだまだ大学生だって当たり前のように人格形成においても未完成であり(※)、そこにプラスして自身で稼いでお金を持つようになった社会人の若手時代、役職とパワーを手に入れた社会人の中盤から後半と、年齢を重ねるにつれて、新たなモノや武器を手に入れるなど、人生において環境や立ち位置が変わるので、自身の人間性や色合いだって変わっていく。

※人格が完成するってナニ、って話ではあるが。

 

つまり、人間性や人格は思春期に形成される、なんて言ったりもするし、基礎基本の土台や大枠はそうかもしれないけれど、上記のような環境変化によって、大人になってからだって常に変わっていくことのほうが多い。

 

そう考えると、30歳である今の自分の一つ一つの判断も、自身を成長させるためには非常に重要である。行くも行かんも、やるもやらんも自分次第、その先の結果も自分の選択の結果であり、その結果によって少しずつ少しずつ自分の思考や形が微妙に変わり続けていく。

 

選ぶことは失うことでもあると冒頭で言ったが、自分は欲張りな性分なので、二兎を追って二兎を得たいとも思ってしまう。

 

ラーメンかカレーかと言われたら本音はどっちも食べたい。

 

まぁ、でも結局はどちらかになることが多い。進路選択においては基本的に一箇所を選ばないといけないし、会社選択においても、今のところ正社員としては一箇所を選ぶということになっている。

 

一旦まだ2020年時点での今の時代は。

 

そんなこんなで、二兎を得たい自分が、8年前に苦渋の決断で選んだ「サラリーマンになる」という決断。そこから8年経っての今の感覚と、意識しないと変わってしまうなと思っていること。

 

まず、サラリーマンになって良かったか悪かったかでいうと、結論良かったとは思ってるし、自分でこの選択を正解にして来れたかなとは思っている。既に独立して経営者として様々な経験値を積んでいる同世代と話したり、「普通」とは言い難い面白いコトをしている人間を見ると、自分はこのままでいいのか、と思うこともあるが、まずはOKまだまだこれからだとも思っている。

 

サラリーマンになったことで得られたことは、馬鹿みたいにたくさんある。人や仲間たちとの繋がりを始め、ビジネスとはなんぞやってこともそうだし、ハチャメチャだった自分が一般的な「普通」の感覚を手に入れることができたし、なんなら妻の友香もそこで手に入れてしまった。

 

最後のは要りませんか?笑

すみません。

 

逆に、失いかけていることというか、これから歳を取っても変わりたくないこと、というか、気をつけなければいけないこととしては、「物事の捉え方」であり、「その時に出てくる第一声」。

 

説明します。

 

社会人を約8年経験した今の自分は、もしかしたら、ムカシの自分よりも、ちょっとドライになっていて、少し傲慢になったというか、物事に対しての軽いプチ批判が、少しだけ多くなったような気がしている。

 

街を歩いていたりして、何かに遭遇した時に、「なんでそうなんねん」「いやいや普通におかしいやろ」と一般的な「普通」感覚ベースで、正論から入ってしまう感じ。わかるかな?

 

まぁ、自分の中ではソレを面白いと捉えてツッコミ的な感じで笑いながら言うことのほうが多いけれども、それでも、捉え方は気をつけなければいけないなーと、思ってる。

 

もっともっと、柔軟に、柔らかく。

 

これって、「ちゃんと社会人をしている」人ほど、そうなる可能性が高いかもしれない。「ちゃんと社会人をしている」の定義はわからないが、なんだろうな、「新卒からずっとサラリーマンをやっている」とか「東証一部上場の大企業でビシバシ働いている」とか「若い頃から活躍してきて、早くから人を指導する立場に立っている人」とか、そういった類なんかな。

 

東証一部上場とか、人を指導する立場とか書いてみたのは、周りよりも、少しこう鼻が高いではないですが、そういうポジショニングを取れてしまう人達だったり、そういうマウンティングができてしまう人達という意味合い。誤解を恐れずに言うてます。

 

どういうことか。

 

いちサラリーマンとしての「ちゃんと」が染み付いてしまうことで、何が良くて何が悪いが、サラリーマンとしての尺度や、その業界の尺度やらで認識をして、判断してしまう。それ自体は育ってきた環境であり、属していた組織の環境なのでもちろんしょうがないんだけども、人を指導する立場になってくると特に、「これはありえない」とか「それはナイ」とか、今まで自分が存在していたところでの当たり前が基準になってしまうので、社会で何かを見たときに「なんでそうなってんねん」とか「いやいや、そもそもこうしたらええやん」とか、「まじありえんな」とか、そう捉えてしまうことが多くなってしまう可能性が高い気がする。

 

仕事においては、お金を頂いている以上、高い質を担保しなければいけないし、より良いサービスを目指さないといけないからそれでいいんだけども、私生活においては、もっと、世界を広く捉えたくて、自分が考える当たり前の基準を曖昧にしておかないといけないなと感じている。

 

それができないと、世界を目の当たりにしたり、街を歩いているときに、自分の基準から外れることが起きたときに、口から出てくるのが文句や批判や不平不満な気がする。自分の当たり前の基準が確立されればされるほど、口から発される文句や不平不満の割合が増えてしまって、自分の周りにいる人間を不幸にするし、結果的に自分が不幸になっていく。

 

もっともっと、何があっても「そういうこともあるよね~」「そんなもんよね~」「アホやんw」なんて笑っていられることが、自分の周りや自分をより幸せにする。

 

自分の周りで起こる事象は、自分ではコントロールが効かないことのほうが圧倒的に多いからこそ、「その捉え方」と「自分の口から出てくる第一声」でその場の空気を温かく包み込めるのか、マイナスな空気にしてしまうのかが決まる。

 

「そもそもこうしたらええやん」「○○したら解決すんやん」とか、自分の中で解決策がすぐ浮かんでいることはいいことなんだが、それができてないのは、人的リソースの問題かもしれないし、お金という資源の問題かもしれないし、そもそも情報がそこに行き届いていないということかもしれない。

 

あなたの会社ではできる当たり前が、そこの当たり前ではないからそうなっているだけ。もし変えたいなら、自分がどうやって変えれるかを考えたほうがいいし、別に変えたいとまで思わないのであれば、緩く捉えてもええんちゃうのー、って感じ。

 

と考えたときに、「ちゃんと社会人をしている」ことは、自分一人だと経験することのできない経験を積むことができ、自分自身が学生時代には関わってこなかった方々の様々な価値観を感じることができ、一般常識的な観点を身につける上で、とてもプラスであると同時に、そこに染まれば染まるほど自分の世界が狭くなっていってしまうリスクがあることも頭にいれておきたい。

 

組織を作る、そしてその組織でまとまりを持つためには、間違いなくルールや基準が必要だし、そのルールや基準にのっとって、組織に対しての価値観や認識の共有を図っていく必要はあるけど、その出くわした物事を組織としてではなく「個として捉える」「個として受け入れる」ときには、もう少し緩く、かつ穏やかに感じたい。

 

「年齢を重ねると、頑固になる・他責になる・文句が多くなる」などよく言われたりもするし、そういう人を見たりもするが、おそらく、サラリーマンや企業人として長く働いている人間こそ気をつけたほうがいい。あなたの感じていることは、間違ってはいないし、たしかにそうしたほうがいいんだと思うけど、たぶんそうはできない何かがあるんだ。

 

自分自身に特に何かがあったわけではないけど、30歳の節目に、ここまでの10年間と、ここから10年間をどう生きたいかを考えてて、こんな感じになった。

 

別にサラリーマンや企業人が悪いってことは一切ないし、ホントに小さなことではあるんだけど、物事の捉え方と、自分の発する第一声って、自分と関わる周りの人を幸せにする上では非常に大事なので、歳を取って色んな経験を積んでも変わりたくないところだなと思った。

 

あなたが、歳を取って変わりたくないことは?

知らず知らずのうちに変わりかけてしまっていることは?

 

少し振り返ってみても良いかもですね。

長くなりましたが、ではまた!

 

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※写真は、8年前のアルゼンチン。

 

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